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贈答文化

2014年12月09日

当該のブログ記事は、とあることに憤りを感じたのでその核心というか本質的なところを考えることで落ち着こうとする愛に溢れたブログ記事になります。なので当人のぼく以外の方には言いたいことがあんまりよくわからない内容になってます。


贈答にはいろいろな機能があると思うのですが、なかでも「社会性を維持するための贈答」に対してはぼくはとても敏感らしい。お中元みたいに「これからも変わらぬお付き合いを」みたいなメッセージがちゃんとかけられていて、かつ送り始めたら断りの手紙を入れるまで毎年送り続ける覚悟をもったものなら好意的に感じられる。だけど近年よく話題にあがるAmazonウィッシュリストみたいな、歴史と文化のルーツをもたず、かつメッセージ性の軽薄な新しい贈答の文化は嫌いだ。

というわけでAmazonウィッシュリストという軽薄な互酬性をもつ贈答文化についてのぼくの意見がこの記事のメインテーマになっております。

※ README

  • ウィッシュリストを公開している人への批判ではないです
  • 贈答の文化自体は好きです
  • というかこの憤りとウィッシュリストは関係ないです
  • とばっちりを受けているだけのウィッシュリスト可哀想

ここからはAmazonウィッシュリストに対する不満をついでに言いたい放題書く。ウィッシュリストを公開したことのある人は読まないほうがいいし、いまから否定的な意見だけをつらつらと並べるからむしろ読んでほしくない。

まず「相手の欲しがっているものをあげる」なんて正直贈る人にも贈られる人にも無礼で安直な仕組みが気に食わない。ただ代わりに金を払ってるのと一緒じゃないか、と思ってしまう。たしかに贈答の基本として「相手に喜んでもらうこと」は絶対条件ではあるとおもうのだけど、あまりにもそれだけすぎる。図書券やギフトカードは、贈答物を隠すことによってメッセージ性を極力抑えて、より万人に受け入れられる贈答の仕組みであるとぼくは認識している。ウィッシュリストのそれはギフトカードのそれとよく似ていると感じる。親しい友達の祝い事にギフトカードを贈るだろうか。

Amazonのウィッシュリストには贈った人の名前を伝える手段がないので名乗り出なければ伝わらないことは認識している。これがちゃんと機能していれば少なくともぼくの納得はいっただろうが、もちろん機能していないから嫌いなのである。だってお金を出したからには伝えたいし、ちゃんと祝ったことも伝えたい。ぼくでもそうする。贈った人が特定できれば、互酬性が生じる。

ギフトカードの使われ方がそうであるように、互酬性のあまりない用途(会社の移転祝いなど)で使われるならまだ救いようがあるのだけど、誕生日プレゼントなど互酬性のある用途で使うのはやっぱり不適切だと感じる。この互酬性は「社会性の維持」を性質的に含んでしまうことによって、ウィッシュリストで贈る誕生日プレゼントは、軽薄な贈答文化と互酬性とが相まってただの馴れ合いと化してしまう可能性がある。自分とその相手だけなら返さなければいいだけだし、お返しを期待してプレゼントするだけじゃないことがほとんどだと思うので、これだけではまだ馴れ合いとは言わない。しかしソーシャルでシェアされることをAmazonは期待しているだろうしかつユーザーもそうするという前提でいうと、そこまで仲は良くないがコミューンの輪の中には存在するZさんがウィッシュリストを公開したとして「特に贈るつもりはなかったけれどコミューン的に贈らなければならない状態」がいとも簡単に発生してしまうのが問題である。そのZさんへのプレゼントは予定されていなかっただろうし、なんのメッセージもないただの「おめでとう」しかない。もし仮にウィッシュリストがなかったとしたら、こういう場合なにを贈ればいいのだろう。パッと思い浮かばないのは、これは贈る目的のない軽薄な互酬性が産んだ贈答機会だからだ。

少し脱線してしまったが、ようするにウィッシュリストでものを贈ると贈られた人は欲しいものを手に入れられたのだからあたりまえのように喜ぶ。贈った側もなにも考えず金を払えばいいのだから楽だ。こうやって明文化してしまえばわかりやすいが、このやりとりの間で本来起こるべきだったいろいろな感情が割愛されていることは文化として成り立つ上で非常に問題であるとおもう。至って個人的な意見を言わせて頂くと、品がなくとても下品に感じる。きっとこの事業の提案書はたかが6ページのプレスリリース形式に落とし込まれたんだろう。

とにかくぼくはプレゼントを選ぶときはその人が喜ぶ顔を想像して一生懸命最大限に選びたい人間なのである。そのプレゼントがそれが相手の欲しがっていたものだったりじつはギフトカードだったりするかもしれないけど、どういうプレゼントであろうが1対1の関係を心底大事にしたくて選ぶのだ。もしこれが成り立たない状況になったら、できるだけそれを成り立たせる状況を作り出すか、あらかじめわかっていたら避ける。ウィッシュリストなんかはノータッチだこのやろう。

とまぁ憤りの対象と全然関係のないAmazonウィッシュリストをただ頭ごなしに否定してみたけど、贈答を気軽にやってはいけないと言いたいわけじゃなくて、最低限メッセージ=意味は持っててほしいなと言いたい。と同時に、ぼくに至ってはメッセージを持たないプレゼントはとうていやる気にならない、ということが言いたかったのです。


ここまでがまん強く読んで頂いた方には申し訳ないくらいオブラートに包みすぎてよくわからなかっただろうし、意味分かんないブログ書いてスンマセンという感じ。スンマセン。読み手=第三者の存在を意識して「自分ー相手」だけの話から「自分ー相手ー読み手」の話に発展して、自分ー相手間だけにあったストレスが緩和して、これぞ「ストレスの発散」といった感じでした。ちょっとイライラしたときにこうやって文章にすると結構落ち着くんだなぁ。


2014/12/10 追記:

この記事の冒頭でふれた「憤り」の対象とはもちろん関係ありませんが、友人のこうめくんがこの記事に対するレス記事を書いてくれました。

こうめくん、ていねいに受け止めてくれてありがとう。ああ、こうめくんに抱かれたい!!!(大嘘)

Re:贈答文化

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自己紹介
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KEISUKE TSUKAYOSHI

UX Designer / UI Designer.

株式会社Fablicでフリマアプリ"FRIL"などの事業サービスのプロダクトマネジメントやデザインを担当しています。

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