ClearについてとFlatUIについてと
以前ブログで書いてた内容を移植しました。
Clearについて
日本のメディアからは「直感的なUI」と謳われた「Clear」というアプリがありました。斬新なUIで、ほかのものと操作性という点で一線を画していましたが「動きが予想できないし直感的ではない!」とかなんとか色んなところで話題になってました。
たしかにぼくも「直感的なUI≒期待通りの動きをするUI」については賛成なので、そういう点でみるとClearは的外れなアプリであるし、そんなアプリがポジティブに話題になるってどうかしてると思います。
ただまぁこんなこと何を今更って感じなのですが、実はこの議論の根元にはあるどんでん返しのような誤解があって、その誤解があるおかげでClearが訴えたかった最も大きなポイントを見逃してしまうことになるのです。
この最も大きなポイントがこの記事のオチになります。
FlatUIについて
マイクロソフトのMetroUIを皮切りに、フラットデザインというものが話題になり始めました。いままでのアップルが前面に押し出してきたような、リアルでモチーフやメタファをふんだんに取り入れた認知心理学的なSkeuomorphic Design(いつまでたってもこれの読み方がわかりません)とは少し違って見える、シンプルでフラットなデザインが特徴です。
しかもiOS7からアップルもこのフラットUIを全面に取り入れるだとか、世界的にもSkeuomorphic Design(コピペ)からFlat Designに移行しているような流れです。
Skeuomorphic Design
こういう流れだけ見るとやっぱりアップルは間違ってたってこと?という結論に至ることは必至なのですが、「直感的なUI=期待通りの動きをするUI」という前提に立ち返ってみると、どう見てもアップルのSkeuomorphic Design()のほうが優れているように見えます。だってこっちのほうがボタンっぽいし押せるのわかりやすいっぽいじゃん。
そもそもディスプレイ上のボタンにリアルなボタンのモチーフやメタファをそのまま使う利点は、ディスプレイに慣れてない人でもボタンだとわかることや、クリックできるかどうかが明確に判断できることが挙げられます。
こうしたリアルなデザインを画面上でも再現することで、スマホを扱ったことのない人でも、たとえば電卓なら電卓を再現したようなデザインであればiPhoneを使ったことがなくても容易に馴染んでいくと予想できます。
グラフィックユーザーインターフェース(GUI)
しかし、Flat UIが問いたいのは、いまのGUIデザインにおいて、そこまで再現する必要はあるのかということです。「いまのGUIデザイン」とは、みんながスマホを使い慣れた、という前提です。
なんでも表示できるはずのこのディスプレイに、旧世代的な電卓のコピーを表示し、機能までコピーしていること自体が、実はボトルネックになっているのではないか。「計算する」という目的において、もっとディスプレイにしかできないような表示や振る舞いでよりUXを高めることはできないか。
いまGUIデザインは次のフェイズに移行しようとしています。タッチパネルをよりフレンドリーなインターフェースまで高める目的のSkeuomorphic Designから一歩先に進んだ、モチーフやメタファを超えた利便性を生み出すことをメインに追求し新しい目的のGUI思考に至ってもいいフェイズにやっとたどり着いたのではないでしょうか。
Clearが伝えたかったこと
Clearはほんとに直感的という点で世界的に評価されたのか?と根本的なところで疑問に思ったので調べてみると、なんとClearは「gestural(ジェスチャー的)」というように紹介されていて、日本で議論になった「直感的かどうか」なんてだれも気にしていなかったのです。そもそも日本と世界ではズレてたんですね、コンセプトの伝わり方が、翻訳される過程において。
「ボタンを押す。画面が変わる。」という操作方法だけが一般的である現状、恐らくClearのようなUIはだれにとっても使いにくいものです。ただ、もしClearのような「ピンチインで新しいタスクを作る」「フリックでタスクを完了する」のようなタッチデバイスでしかできないような操作方法に、みんなが完全に慣れ親しんでいる状況になったならば、きっとほとんどが旧世代的なボタンのクリックの連続よりも遥かに使いやすく、多機能で、それでいてシンプルだと感じるのではないでしょうか。
これまでのリアルなモチーフに縛られボトルネックになっていたGUIに対して、ピンチインやフリックがタッチデバイスにとって適切な解であるかはわかりません。しかし、このClearやFlat UIの流れは「もっとGUIとして最適な形はあるのではないか、もっと探求していこうぜ!」という訴えなのではないかと思いました。
久々に文章書いてつかれた…。